子どもはプロセスではない。

0
    ★今日のフォーカスチェンジ♪★

    楽園の時代


    ほとんどのおとなは、
    「子ども」という存在を、

    おとなの未熟なミニチュ
    アだと考えています。

    子どもが成長した先に、
    おとながいるのだと、
    当然のように
    思っているのです。


    けれども、それは
    半分あたっていて、
    半分あたっていません。

    たしかに、肉体が、
    別ものに変わることは
    ありません。

    (細胞は交代しつづけて
    いますけれど)

    でも、その内がわは、
    途中で完全なる「変容」
    をとげるのです。


    10歳未満、とくに
    7歳未満の
    子どもたちにとって、
    世界はほぼ未分化です。

    おとなたちが考える、
    優劣、上下、美醜…

    そうした、いわゆる
    外がわの価値観を、

    子どもたちは、まったく
    もっていません。

    そもそも、そのための
    ものさしがないのです。


    子どもたちにとっては、
    自分が好きだと思った
    ものが、絶対なのです。

    自分が幸せになれる
    瞬間が、絶対なのです。

    たとえそれが、砂浜で
    ひろった巻き貝の
    かけらであっても。

    あかまみれの、ぼろぼろ
    にすりきれた、くまの
    ぬいぐるみであっても。


    おおくのおとなたちが
    「未熟」と呼ぶ
    その時代を、私は、

    「楽園の時代」
    と呼んでいます。

    なぜならば、その時代
    こそが、外がわの価値に
    一切左右されず、

    ただただ自分の感性・
    感覚にしたがって、
    素直に生きられる時代。

    あらゆるものを、
    そのまままるごと受け入
    れることのできる時代。

    絶対の自分を生きられる
    時代だからです。


    残念ながら、その時代は、
    やがて終わりを告げます。

    ひとつは、思春期におと
    ずれる、自我の目覚め。

    ひとに見られる自分を
    意識するとき、自分と
    他者は別ものになります。

    そして、もうひとつは
    世界の分離。

    お月さまや花や虫は、
    自分に語りかけては
    こないのだと。

    何もかもがひとつで、
    「いま」だけを味わって
    きた世界は、そこで
    終わりを告げるのです。

    私は、これを
    「楽園からの追放」と
    呼んでいます。


    そのときから、
    「いま」と「永遠」は、
    別のものになります。

    ひとは、時間とは、
    時計がきざむものだと
    思いこみます。

    もう、椅子は椅子として
    しか見えなくなります。

    それが魔法の乗り物で
    あった記憶は、急速に
    うしなわれていきます。

    これが、「おとな」への
    変容のプロセスです。


    なんだかミモフタモナイ
    書きかたに
    なってしまいましたが、

    私は、おとなになること
    を、否定している
    わけではありません。

    ただ、おとなになること
    を、「成長」としてだけ
    とらえると、

    みうしなってしまうもの
    がある、と
    感じているのです。

    そして、
    「成長」にばかり目を
    向けるおとなたちが、

    子どもが、純粋に
    子どもでいる時間を、

    うばってしまうことを
    憂いているのです。


    いのちの進化の過程の
    なかで、子どもたちは、

    やがては、おとなになる
    よう、プログラミング
    されているのです。

    すべての体験は、
    必要があって
    用意されているのです。

    だから、安心して、
    その子ども時代を
    満喫させてください。

    けっして、おとなの
    予備軍のように、あつ
    かわないでください。

    なぜなら、おとなの
    ものさしではかること
    のできない、
    その楽園の体験こそが、

    その子の内面を満たし、
    感性をはぐくみ、
    生きるちからをつちか
    うものなのだから…。


    たぶん、未分化で、
    まだどこか楽園のしっぽ
    をくっつけたままの、

    (そのぶんだけ、おとな
    としての生きづらさを
    かかえたままの)

    私の切なる願いです。

     

    明日は今日ではない。いつまでたっても今日ではない。

    0
      ★今日のフォーカスチェンジ♪

      いま、この瞬間だけを大切にして



      私は、もう20年近く、
      脚本の勉強会を
      主宰しています。

      会のおもな活動は、
      自作の脚本を持ち寄って、
      合評しあうこと。


      そこには、さまざまな
      立場のひとが集まります。

      小学校や中学校などで、
      演劇を指導している教員
      のかた。

      自身が
      劇団をやっているかた。

      プロの脚本を
      手がけているかた。

      これから脚本を書きたい
      という学生さん、などなど。


      そんななかで、病気の
      子どもたちをあずかる
      養護学校の教員のかたが、

      参加されたことが
      ありました。

      その学校では、重度の
      病気のお子さんが多く、

      在学中に亡くなることも
      あるのだとか。

      そのかたが、
      おっしゃいました。


      だから、一日一日が
      大切なんです。

      完成された舞台をめざす
      のではなく、

      毎日の稽古そのものが
      楽しく、充実している
      必要があるんです。

      だって、確実に
      明日があるかどうか、
      わからないのですから。

      …と。


      からだをまったく
      動かせないお子さんを、
      舞台に乗せることも
      あるそうです。

      動けないから何も
      できないのではなく、

      そこに存在しているだけ
      で、意味があるような役
      を考えるのだそうです。

      しゃべれない場合は、
      そばで、ほかの子が
      せりふを、
      サポートするなど、

      仲間とのつながりを
      感じられるチャンスに、
      することもできます。

      実際、そうして
      舞台に出ることで、
      その子自身の気持ちに、
      変化が起きたりします。

      話せなくても、動けなく
      ても、毎日接していると、
      その変化が
      わかると言います。

      …そんなお話を
      してくださいました。


      私は、子どもたちの演劇
      にかかわりながら、

      ずっと想ってきたことが
      あります。

      それは、子どものために
      演劇があるのであって、

      演劇のために、子どもが
      いるのではないということ。

      舞台をつくることも大切
      だけれど、

      そのプロセスで、子ども
      が何を体験するかのほう
      が、もっと大切だと。


      そのかたのお話は、
      私のその想いと、
      ぴったり重なりました。

      いえ、より切実に、
      その想いをもって

      そのかたは、
      目の前の子どもたちと、
      向き合っていたのです。


      演劇にかぎらず、
      子どもたちと
      かかわっていると、

      おとなは、しばしば
      過度の期待を
      してしまいがちです。

      それが、その子自身が
      望んでいることなら
      かまわないけれど、

      ときに、おとなの一方的
      な思惑での、押しつけに
      なる場合もおおいです。

      もちろん、おとなにだっ
      て悪気はないでしょう。

      10年先、20年先の
      未来を想っての、真摯な
      気持ちだとは想います。


      けれども、ときに、
      そのかたのように、

      いま、この瞬間だけを
      大切にして、
      子どもを見つめて
      みてはどうでしょう。

      たとえ病気でなくても、
      いまの時代、

      いのちの危険にさらされ
      るケースは、いくらでも
      あるのですから。

      いえ、いたずらに
      ナーバスになる必要は
      ないのですが、

      そのくらい、一瞬一瞬を
      大切に、見守ってみては
      どうかということなのです。


      ああ、いま、
      生きて、呼吸している。

      動いている。
      しゃべっている…。

      そんなふうに、きっと、
      いまできていること、
      輝いている部分に

      目がいくのでは
      ないでしょうか。

      そうしたら、ふだんつい
      感じてしまう怒りや
      不満、いらいらなど、

      ほとんど消えてしまうの
      ではないでしょうか。


      そして、そんな気持ちが
      もてるとしたら、

      さらに、同じ気持ちで、
      家族のこと、
      自分にとってみぢかな
      ひとたちのことを、

      見直してみては
      いかがでしょうか。

      きっと、かかわりかたが
      変わっていくと想います。


      これを書きながら、
      私も反省中です。(笑)

      ひととひとが、お互いを
      みとめあって、
      ささえあって生きていく
      未来のために、

      いま、自分にできること
      からはじめます♪



      「今日のフォーカスチェンジ」第1538号
      (2008年1月16日発行)

      最初も途中もおしまいも…


      私が主催する
      脚本研究会「澪」には、
      さまざまなひとが集まります。


      中学校や高校の演劇部で、
      座付き作家のように
      脚本を書いているひともいます。

      小学校で、子どもたちと
      話し合いを重ねながら、
      脚本をつくるひともいます。

      地域のさまざまな集会の脚本を
      頼まれて書くひともいます。


      そんな仲間が集まって、
      お互いの作品を批評しあい、
      高めあうことを
      目的にしている会なのです。


      あるとき、養護学校の先生が、
      この会に参加されました。

      さまざまなハンデをかかえた
      子どもたちがいるといいます。

      なかには、寝たきりに近い
      子どももいるのだそうです。


      そんな子どもたちと、劇を?

      最初はちょっと、
      びっくりしました。

      でも、話を聴いて、
      なるほどと思いました。


      どんなにうちわの発表会でも、
      舞台のうえにのぼるとき、
      お客さんの熱い視線が、
      そこに集まります。

      その視線を、子どもたちは、
      感じるのだそうです。

      ふだんなかなか出てこない
      エネルギーが、
      湧いてくるのだそうです。


      「その子の状態にあわせて、
       脚本をつくっていきます。

       食べ物が好きな子には、
       食べ物のあるシーン。
       笑顔のすてきな子には、
       笑顔になれるシーン。
       ことばが話せる子には、
       しっかりしたせりふを」


      だから、脚本は、
      ストーリーの
      きちんとしたものには、
      ならないこともあります。

      知らないひとが見たら、
      何をやっているのか、
      わからない場面もあります。


      「でも、できあがった
       舞台という結果だけを
       見てはいけないんです」

      そのかたはおっしゃいました。


      「なぜなら…」

      そのあとのことばに、
      私たちは、
      思わず息を呑みました。


      「私たちがあずかっている
       子どもたちのなかには、
       病気の子どもたちもいます。

       病気は少しずつ進行します。

       去年は、動いて、せりふを
       しゃべれた子が、今年は
       歩くことができなくなる。
       
       そんなことは、
       珍しいことではありません。

       いいえ、今日は練習できても、
       明日にはもう…できなくなる。

       そんな子たちだって
       いるんです」


      そのかたの深いまなざしは、
      日々かかわっているであろう、
      一人ひとりの子どもを
      まっすぐに見ていました。

      私たちには、それが、
      はっきりと感じられました。


      「だから、本番の舞台という
       結果だけを、
       見ていてはだめなんです。
       
       今日の、この練習が、
       その子にとって、最高に
       楽しいものでなければ
       いけないんです。

       最初も途中もおしまいも…。

       その瞬間、瞬間が、
       楽しいと感じられる時間に、
       していく必要があるんです」


      深い沈黙が、流れました。

      だれもが、懸命に、
      いのちを燃やして生きている
      子どもたちに、思いを
      馳せているのでした。

      だれもが、そこに
      全身全霊で向き合っている
      そのかたたちの日々に、
      思いを寄せているのでした。


      そんな思いをもって、
      脚本を書いてきただろうか。

      そんな思いをもって、
      人生を生きてきただろうか。

      身が引きしまるような思いで、
      それを感じていたのです。


      いまでも、ときどき、
      思い出しては、背すじが伸びる
      気持ちになります。

      だれかに伝えずにはいられない
      エピソードのひとつです。




      -----------
      例えば3歳の子が、
      今この時を充実して生きなくて、
      明日を充実して生きれるでしょうか。

      現代の教育に対して放った恩師の言葉ですが、
      今回のかめおかゆみこさんの言葉を聞いて
      思い出しました。

      常に明日のために準備させられている。
      それが当然でいいことのように思われています。
      でもその明日って、今日ではない。
      いつまでたっても今日ではない。(徳田憲生さん)
      -----------
       

      かめおやゆみこ今日のフォーカスチェンジ♪から

      0
        ★今日のフォーカスチェンジ♪★

        ちがう生きかたもあるよ


        たとえば、親が
        とてもきびしくて、

        「〜〜しなさい」
        「〜〜ねばだめ」

        ということを、押しつけ
        るひとだったとします。

        あなたが、それに
        さからおうとすると、

        「世間にたいして
        はずかしい」
        「社会の落伍者になる」

        と、強いことばで、
        たしなめられました。

        そのため、あなたは、
        親の言うとおりの人生を
        歩みます。


        こころのなかでは、

        「本当は☆☆が
        したかったのに」

        「★★だったら
        よかったのに…」

        という想いは
        もっていましたが、

        こわくて、
        親には言えません。

        いつしか、そんな夢や
        想いがあったことさえ、
        封印してしまいます。


        そんなあなたが結婚し、
        子どもができました。

        子どもは、あなたとは
        まるでちがっていました。

        とってもマイペースで、
        好きなときに、好きな
        ことを、好きなように
        やりたがります。

        それどころか、思わぬ
        ときに、トンデモな
        行動までやらかします。

        あなたは、そのたびに
        ふりまわされ、

        ときに、
        祖父母となった親から、

        「おまえが甘いからだ」
        と言われ、苦しみます。


        「〜〜しなさい」
        「〜〜ねばだめ」

        あなたは、自分が親に
        言われたことを、自分の
        子どもに言いますが、

        子どもは、あなたの言う
        ことなんか、ちっとも
        聴いてくれません。

        そのたびに、

        「なんでこうなるの〜」
        「私ばっかり
        つらい想いをして!」

        子どもへの怒りさえ、
        わいてきます。


        けれども、あるとき、
        あなたは、
        はっと気づきます。

        なぜ、私は苦しんで
        いるんだろう?

        目の前の子どもは、
        とても自由そうです。

        親の言うことはきかない
        し、ほかの子たちとも
        足並みはそろいませんが、

        その日その日を、楽しみ
        ながら生きています。

        そう、とっても
        幸せそうなんです。


        あなたは、自分の子ども
        時代を思い出しました。

        自分の気持ちよりも、
        親やまわりの言うことを
        優先してきたこと。

        やりたかったことを、
        あきらめたこと。

        何よりも、自分で自分を
        否定してしまったこと。

        結果として、いまも、
        誰かの想いを優先して、

        自分の考えを押し殺して
        しまうのです。

        自分のことを、あまり
        幸せだと感じることが
        できないのです。

        それって本当に、
        自分が望んだ、自分の
        人生なのでしょうか?


        目の前で、
        子どもが笑っています。

        いまこの瞬間に、好きな
        ことを、選択しています。

        世間のモノサシには合わ
        ないかもしれませんが、

        少なくとも、
        あのころの自分よりも、

        いえ、それどころか、
        いまの自分よりも、

        ずっと幸せそうに
        感じます。


        ああ…と、
        あなたは思い出します。

        あなたをしばりつけて
        いた親も、実は、

        その親から、きびしい
        束縛を受けていたと
        聴いたことがあります。

        おそらく、その親もまた、
        同様であったでしょう。

        それは、連綿と、家系が
        背負ってきたものでも
        あったでしょう。


        けれども、いま、目の前
        で、自分の子どもは、
        そのありかたをとおして、

        親の価値観とはちがう
        生きかたもあるよと、
        教えてくれているのです。

        この家系を
        しばりつけていた鎖を、
        断ち切っていいのだと。

        誰も終わらせることの
        できなかった確執を、
        ここで
        終わらせていいのだと。


        そう気づいた瞬間に、

        あなたのこころのなかの、
        怒りやいらだちは、
        すーっと消えていき、

        代わりに、
        あとからあとから、涙が
        あふれてくるのでした。


        あなたは、思わず、子ど
        もを抱きしめて言います。

        「ありがとう」

        子どもは、
        なんのことかわからず、
        きょとんとしています。

        わからないまま、
        あなたの頭を、なでなで
        してくれるのです。


        …。

        これは、ひとつの
        おとぎ話にすぎません。

        けれども、最近、そんな
        子どもたちが、ふえてい
        るような気がします。

        ときに、こころやからだ
        に、何らかのハンデを
        ともないながら、
        この世に生まれてきて、

        「それは
        自分にはできません」

        「それは、もう
        終わりにしましょう」

        ということを、
        教えてくれるような
        気がしています。


        今日のメッセージ。

        おとぎ話ですから、
        読み流してしまって
        かまいません。

        けれども、もしも、
        何か感じるところが
        あるのでしたら、

        あなたにとって、
        必要なエッセンスだけ
        受け取っていただければ
        さいわいです。


        あなたが
        幸せでありますように。

        それだけを祈ります。
         

        スルーする力って!?

        0



          今日は曇りですね。

          これ昨日の写真なのですが、
          結晶しはじめる寸前、火力がかなり上がっていたのですが、
          伐採木を入れると火がじわっとした感じになり、
          いつものようにきれいで大きな結晶ができはじめました。



          ここのところゴンの調子がよくありません。
          ここへ来て7年、年齢にして9歳くらいですからもうおじいちゃんです。
          誘っても小屋から出てこなかったのですが、
          昨日は久しぶりに出てきて散歩。途中10分くらい休憩しましたが無事帰り着きました。


          今日のかめおかゆみこさんのメルマガ「今日のフォーカスチェンジ」が
          あまりにも秀逸だったので紹介させてください。

          いや〜、私も実に、大勢の人にたくさんスルーしてもらっていたのだな〜、
          と今回ばかりはしみじみと思い知らされました。
          (もちろん、今も相変わらずスルーしてもらってばかりですが…)



          ★今日のフォーカスチェンジ♪★

          スルー力(りょく)


          「『聴く』を磨く」
          体験講座でのことです。

          ことばの表面に
          ひっかかっていると、
          本当には聴けませんよ。

          表面にあらわれることば
          は流して、聴かないでく
          ださいね。…という
          話をしたのですが、

          あるかたいわく

          「あ、私、得意です。
          いつもダンナの話は、
          聞き流していますから」

          ち〜が〜い〜ま〜す〜!(笑)


          そんな話を思い出してい
          たとき、ネットで、こん
          なことばを見かけました。

          「スルー力(りょく)」

          おもしろいネーミング
          だなあと想いました。


          私たちは、いつでも
          ことばの表面に
          ふりまわされます。

          でも実際には、
          「本当の気持ち」だけで、
          会話が成立することなん
          て、ほとんどありません。

          別に、悪意からくるもの
          でなくても、

          正面からぶつかるのをさ
          けるためとか、
          自分の気持ちがはっきり
          しないときなどに、

          本心ではないことばを
          使うことは、
          よくあることです。


          とりわけ、言われてイタ
          イことばにたいして、

          つい反応してしまうなん
          てことも、よくあること。

          そのはげしいことばの
          裏がわには、

          「苦しい」「つらい」と
          いう気持ちがかくされて
          いたりするものです。

          でも、その表面のことば
          だけを受け取ってしまっ
          ていたら、

          気持ちは、どんどんずれ
          ていってしまいます。


          ここは、スルー力を
          発揮しましょう。

          そう。
          流してしまうのです。

          だって、それは、
          本当の気持ちではないの
          ですもの。


          最近、しみじみ想うのは、

          ひとは、こころが
          満たされているときと、

          自分が尊重されていると
          感じるときには、

          気持ちが安定するもの
          だということ。


          だから、目の前の相手が、
          攻撃的だったり、不安定
          な状態にあるとしたら、

          そのどちらか、もしくは
          両方が足りていない
          ということなのです。

          とくに、攻撃的に出て
          いるとしたら、それは、
          「手負いのケモノ」に
          近い状態です。

          痛くて、冷静になんか
          なれない状態なのです。


          だからこそ、スルー
          してあげるんです。

          痛がってあばれている
          ケモノ(失礼…)に、

          「おとなしくしろ」
          なんて言ったって
          無理なんですから。


          スルーするというのは、
          無視することでは
          ありません。

          それにはふりまわされま
          せんよ、あなたの本質は
          そこではありませんよ、

          という気持ちで、
          見守っていることです。

          そして、実際に、
          そのひとの深い部分に
          アプローチしながら、
          平静でいることです。

          さらによゆうがあるなら
          ば、このひとは、自分で
          ちゃんと立ち直るちから
          をもっていると、

          信頼して、
          そこにいることです。


          その結果はどうなるか
          わかりません。

          ただ、それによって、
          あなたは、確実に、
          平安なこころを保つこと
          ができるでしょう。

          あなたが、平安な状態を
          保つことができれば、

          相手も次第に、
          落ち着いた気持ちに
          なっていくでしょう。

          話をするのは、それから
          でも遅くはありません。


          あ。蛇足ですが、

          相手が強い態度で出ると、
          つい動揺してしまう
          タイプのひとは、

          こころのなかで、
          オーバーアクションで
          おどろくという方法も、
          ためしてみてください。

          「どっひゃああああ、
          まぢかよおおお」

          「ぎょわーん、そんな
          ん、ありかあああ」

          と、なるべく
          擬音つきで、オーバーに。

          すると、笑っちゃうくら
          い平静でいられます。

          くれぐれも、こころの
          なかだけでね♪(笑)


          スルー力をみがくことで、

          より快適なコミュニケー
          ションが、とれるように
          なるといいですね!

          応援してます♪(*^_^*)

           


          かめおかゆみこさんのメルマガから

          0
            5月30日のかめおかゆみこさんのメルマガが
            う〜ん、なるほどだったのでアップしちゃいます!


            ★今日のフォーカスチェンジ♪★

            宇宙の壮大な実験


            私はときどき、人類は、
            まだ進化の途上で、

            その進化が
            不完全なまま、

            地上に送り出されてしま
            ったのではないか…と、
            想うことがあります。


            前頭葉が
            稀有なまでに発達し、

            複雑な言語をあやつり、
            音楽、美術、演劇といっ
            た、「芸術」表現まで
            おこなってしまえる、

            こんな生きものは、
            地球上どこをさがしても
            存在しません。

            けれども、このすばらし
            い能力を、私たちは

            充分に使えないまま、
            生きているような気が
            してならないのです。


            たとえていえば、
            クモが、お尻から糸は
            出せるのに、

            巣のかたちに糸を張る
            ことができなかったり、

            蝶が、美しい羽を
            もって生まれたのに、

            飛びかたを知らなかっ
            たりしたら…?

            いいえ、
            そんなことは、聴いた
            ことがありません。

            彼らは、はじめから、
            その能力を
            使いこなせるように、
            生まれてくるのです。


            ところが、人間は、

            共通の「言語」という
            ものを生み出したにも
            かかわらず、

            言い換えれば、
            言語を生み出す能力を
            もって生まれたにも
            かかわらず、

            その能力を、充分に使い
            こなすことができないで
            いるような気がします。

            コミュニケーションの
            道具が、

            逆に、あらそいを生む
            原因になってしまったり、

            その結果、おなじ人類
            同士で、大量殺戮を
            おこなったりして
            しまったりします。

            そんな生きものは、地球
            上さがしても、どこにも
            いないと想うのです。

            私は、そのことを、
            長いことずっと
            かなしく想ってきました。


            けれども、
            ここまで書いてきて、
            ふと想うのは、

            もしかして、それは、
            宇宙の壮大な実験なの
            かもしれないなと。

            ほかの生きものが、すで
            に完全な状態で生み出さ
            れてくるのにたいして、

            人間は、あえて不完全な
            まま、生まれるように
            設計された。

            不完全なまま生まれ、
            それをおぎないあう
            プロセスをとおして、

            成長していくという
            課題をあたえられた…。

            そんなふうにね。


            残念ながら、いまのとこ
            ろ、その実験は、あまり
            うまくいっていないかの
            ように見えます。

            ひとは、それぞれが
            それぞれを
            完全だと誤解して、

            互いに相手の不完全さを
            攻撃しあっているように
            見えるのです。

            互いに実験の途上である
            ことを忘れて、

            否定しあっているように
            感じるのです。


            もしかしたら、お互いの
            足りないところを、
            埋めあっていけば、

            この壮大な実験は、
            次の段階に進めるのかも
            しれません。

            だってそれは、完全な
            存在である生きものたち
            には、体験できない
            プロセスなのですから。


            そのために私たちには、
            能力があたえられている
            はずです。

            ひとつは、
            「聴く」という能力。

            ひとつは、
            「話す」という能力。

            そしてその根底にある、
            「感じる」という能力。

            それらを総合する、
            「想像(創造)する」能力。


            もしも、私たちが、
            不完全な存在であること
            に、本当に気づくことが
            できれば、

            この能力を、さらに発揮
            できるように、磨きをか
            けていくかもしれません。

            気がつかなければ、ただ、
            あらそいあって、

            お互いをほろぼしていく
            道を、
            たどるかもしれません。

            宇宙にとっては、
            どちらにころんでも、
            進化と変化のプロセス
            なのだと想うのですが、

            そのプロセスのただなか
            を生きる私たちが、
            それをどう受け止め、
            どう生きるのか…。


            なんだか、今日は、
            とてつもなくスケールの
            おおきな話に、なって
            しまった気がしますが、

            よかったら、そんなこと
            にも、想いをはせてもら
            えたら、うれしいなあと
            思います。

            あなたは、あなたの、
            人類としての能力を、
            どんなふうに
            使ってきましたか?

            そして、これから、
            どんなふうに使っていき
            たいと、思いますか?

             

            かめやまゆみこさんのメルマガから

            0
              ★今日のフォーカスチェンジ♪★

              感情はセンサー


              最近、あるかたから
              メールをいただき、
              返信したら、

              「感情的な反応ではなく、
              意思でことばを選択さ
              れていると感じました」

              という感想をいただいた。


              そんな分析ができること
              も、すごいと想うけど、

              たしかに、私も、そうい
              う対応ができるように、
              進歩したかなあと感じる。

              だって、以前は、感情に
              は感情で、反応しまくり
              だったから。汗

              もちろん、いまだって
              まったくない、とは言わ
              ないけれど、以前よりは
              ずっと減った。

              そして、減ったのには、
              理由がある。

              「感情はセンサーだ」と
              いうことに気づいたから。


              そう。感情はセンサー。

              ひとは、フォーカスした
              ものしか、認識できない。

              これは、脳の
              基本的なはたらきだ。

              そして、フォーカスする
              のは、そこに感情が介在
              するからだ。

              単純な例では、

              大きな音がして、
              「驚く」とか、
              ラッキーなお知らせに、
              「喜ぶ」とか。
              未知との遭遇に、
              「動揺する」とか。(笑)


              感情が起きるのは、
              そのひとの生育歴や
              環境、そして気質などが
              フクザツに影響する。

              だから、同じ事実であっ
              ても、起きる感情は、

              そのひとによってちがう
              し、同じひとでも、状況
              によって変わったりする。

              事実と感情は
              まったく別ものなのだ。

              「こんなときは普通…」
              「誰でも…」と、言いた
              がるひとはいるけれど、

              傾向はあるかもしれない
              が、絶対ではない。


              だからこそ、
              感情が起きたときには、
              考えてみてほしい。

              いま、自分のセンサー
              に引っかかっているもの
              は、何なのかと。

              この感情は、何を教えて
              くれるのだろうかと。


              感情的になっているとき
              に、そんなことはできな
              い…と想うかもしれない
              けれど、

              「練習」すれば、それな
              りにできるようになる。

              事実、私自身、
              このメルマガを発行しは
              じめたころは、ゴ〇〇リ
              さんが大の苦手で、

              目の端に入るだけで、天
              地がひっくり返るほど、
              パニクっていたものだ。

              が、最近は、単体で、床
              を歩行されている程度で
              あれば(笑)、

              「あら、そこにいらした
              のね」と、平常心でスル
              ーすることさえできる。


              おばかなたとえで、失礼
              したけれども、(*^_^*)

              もっとおおきなこと
              でも、基本は同じだ。

              そして、たとえ感情的に
              なってしまったとして
              も、それはそれでOK。

              嵐が過ぎ去ったあとに、
              考えることはできる。

              そうすれば、次の機会に
              活かすことができるのだ。


              もう一度、書く。

              感情が起きるとき、それ
              は、自分の深いところで
              起きている、何かを知ら
              せてくれるセンサーだ。

              だから、感情を動かした
              (と感じる)相手に、
              理由や原因をもとめても、
              意味がないのだ。

              すべては、自分の内がわ
              で起きていることだから。

              それに対応できるのは、
              自分自身だけなのだ。

              (もちろん、必要に応じ
              て何かの助けを借りる
              のも、方法のひとつ)


              最後に、ひとつだけ、
              私の例をあげよう。

              以前にも書いたけれど、
              私はあるひとから言われ
              たことばで、10年以上
              も苦しんだ体験がある。

              私はあまりに深く落ちこ
              んだので、そのひとを
              責めることさえ思いつか
              なかったけれど、(笑)

              いまになってみると
              わかることがある。

              そのことばで、私が傷つ
              いたのは、それが私の
              アンデンティティーをゆ
              さぶるものだったからだ。

              つまり、ものすごく核心
              の部分に、ヒット
              してしまったわけだ。

              逆に言えば、そのことで、
              私は、自分が何を大切に
              しているかに、
              気づくことができたのだ。


              なぜ、そのひとは、そん
              なことばを放ったのか。

              もしかしたら、
              私を落とすことで、自分
              の優位性を感じたかった
              のかもしれない。

              あるいは、単に、私の
              関心をひきたかっただけ
              なのかもしれない。

              もはや、たしかめる
              ことはできないが、

              いずれにしても、
              私が、そのことばを、
              真に受けて傷つく必要
              は、まったくなかった。

              そのひとの感情はその
              ひとのものであり、
              私の感情は
              私のものなのだから。


              そのときの私は、ただ、
              感情的に反応すること
              しか、できなかった。

              でも、いまは、
              センサーにふれたものを
              感じとり、対応するだけ
              でいいことがわかる。

              そして、そのように対応
              できる、いまの状態を、
              快適だと想う。

              私は感情的な反応では
              なく、この「快適さ」を
              選択したのだ。


              これが、私にとっては、
              「感情とつきあう」と
              いうことだ。

              もちろん、それ以前には、
              「感情を味わう」という
              段階もあるけれど、

              それはこれまで、繰り返
              し書いてきたことなので、
              今日はふれない。

              またいつか必要があれば、
              取り上げるかもしれない
              けれども。

              今日のメッセージが、
              あなたのお役に立てれば
              幸いです。

               

              かめやまゆみこさんのメルマガから。

              0
                かめやまゆみこさんのメルマガから。






                当たり前だけど、
                ひとは、一人ひとりちがう存在。

                私には私の役割がある。

                ついでにいえば、
                役割なんてあってもなくてもよし!

                …なんてことを、ふと想う今日このごろ。(笑)



                ★今日のフォーカスチェンジ♪★

                解決の糸口


                あなたが完全ではない
                ように、相手も
                また完全ではない。

                相手が完全ではない
                ように、あなたもまた
                完全ではない。

                …と、めずらしく、長い
                フレーズがおりてきた。

                なんのこっちゃ?(笑)


                「信頼する」ということ
                は、相手の言動すべてが
                正しいと想うことではない。

                ひとはまちがう。

                まちがうという表現は
                語弊があるけれども、
                要は、判断をあやまる。

                たとえは極端だけれど、
                海の向こうにわたるの
                に、飛行機でいくか、
                ゴムボートでいくか。

                どちらも「まちがい」
                ではないけれど、
                ゴムボートのほうが、
                たぶん、リスクは高いし、

                まして、明日向こうで
                待ち合わせがある、
                なんてときは、

                ゴムボートは、あまり
                有効な手段ではない。


                相手を信頼しているから
                といって、相手の言動
                何もかもを、鵜呑みに
                するのは、お門ちがいと
                いうことだ。

                それは、本当の意味での
                信頼ではないし、

                場合によっては、自分の
                責任放棄にさえつながる。


                ゴムボートのたとえでは、
                ありえないと想うかもし
                れないが、

                日常のなかでも、
                私たちは、けっこう、
                似たようなことをやって
                いるな、と想う。

                自戒、自戒。

                自分が完全ではないよう
                に、相手もまた、完全で
                はないのだ。

                ときと場合によって、
                「健全にうたがう」こと
                は、むしろ、人間関係に
                おいては、必要なことだ。


                また逆に、相手の落ち度
                (と思えること)にたい
                して、何か感情が
                湧いてくるとしたら、

                それは、自分のなかに、
                同じ「種」があると
                考えたほうがいい。

                人間関係は鏡だと、よく
                言われるけれども、

                ひとは、見えないものは
                見えないし、気づいてい
                ないことは気づかない。

                それが見える(気づく)
                ということは、

                自分のなかでも、
                同じことが起きている
                可能性がある、という
                ことだ。


                それは、あらわれる
                かたちはちがっても、
                同じパターンの何かかも
                しれない。

                たとえば、
                自分自身に、何か禁止し
                ていることがあると、

                それをやっているひとを
                見ると腹が立つ…なんて
                のは、その典型例だ。

                その場合、自分ひとりで
                は気づけないことを、
                相手が教えてくれたこと
                になるのだ。

                (相手が自覚しているか
                どうかは別として)

                そう。相手が完全ではな
                いように、自分もまた
                完全ではないのである。


                …という感じで、

                おりてきたことばを、
                分析(笑)してみた。


                自分のなかに相手を見、
                相手のなかに
                自分を見るとき、

                私たちは、互いに補完
                しあって生きている存在
                であることに、気づく。

                それゆえに、自分の課題
                に気づくことが、
                相手(の課題)を受け入
                れることであったり、

                相手の課題に気づくこと
                が、自分(の課題)と
                向き合うチャンスになっ
                たりする。

                別ものだと想っていると、
                そのことに気づけないが、

                つながっていることがわ
                かると、相手も自分も、
                一方的に責めるような
                ことはしないですむし、

                そこから、いろいろな
                課題の解決の糸口が、
                見えてくることもある。


                …とまあ、やたら理屈っ
                ぽく書いているけれども、

                私はこうしたことを、
                うんざりするほどの
                たくさんの体験を
                とおして、学んできた。

                怪我の功名…というのは
                少しちがうけれど、(笑)

                おかげで、人間関係と
                感情については、

                ちょっとだけ客観的に
                見られるかもしれない、
                と想ったりする。

                当社比だけどね。(爆)


                まあ、いつもの
                結論だけれども、

                相手も、よし。

                自分も、よし。

                起きてきたこと、
                すべてに、マル!

                世界は不完全で、完全!
                 

                かめおかゆみこさんのメルマガから。

                0
                  気づいたら目的と手段ってが入れ替わっていた、
                  なんてことがよくありますね。
                  参考になればと思い紹介します。




                  ★今日のフォーカスチェンジ♪★

                  本当の目的は


                  私たちは、何かを
                  達成するために、そこに
                  いたる方法を考える。

                  試行錯誤を繰り返し、
                  もっともよいと想われる
                  手順を見つける。

                  そして、それをひとにも
                  伝える。こうすると
                  うまくいくよ、って。

                  それ自体は問題ない。
                  何も問題ない。

                  ないのだけれど…。


                  いつのまにか、それが
                  当たり前になると、

                  なぜ、それをやろうと
                  したのかを、忘れる。

                  忘れて、ただ、
                  その手順だけが残る。

                  その手順を守ろう、
                  あるいは守らせようと
                  いうことが目的化する。

                  ときに、それをやらない
                  ものがいると、非難する。

                  それが嵩じると、罰則を
                  もうけて、強制さえする。


                  それって、
                  何かおかしくないか?

                  なんのために、それを
                  やろうとしたのか?

                  もう一度、原点に還る
                  必要があるのではないか。


                  昨日は、東京「『聴く』
                  を磨く」講座だった。

                  ちなみに、第18期の
                  第6回目。(最終回)

                  2009年からスタート
                  して、18回のクールを
                  終えることになる。

                  だから、プログラムも、
                  ある程度、まとまって
                  きていた。

                  本来はノープログラムが
                  基本の私だけれど、

                  「聴く」に関しては、
                  おおまかではあるけれ
                  ど、流れができていた。

                  積み重ねるなかで、
                  ブラッシュアップして
                  きた方法だ。


                  ところが、昨日、
                  講座の最中、あるワーク
                  をやろうとしたとき、

                  ふと、「なんか、気分が
                  乗らない」と感じた。

                  そう。「気分」だ。(笑)

                  講座の参加者さんが、
                  目の前にいて、私が何を
                  言うかを待っている。

                  その前で、そのまま、
                  その気持ちを言った。

                  「気分が乗らない」

                  (爆笑…)


                  そして、その状態の
                  まま、では、どうしたら
                  このテーマにアプローチ
                  できるか、考えた。

                  ふと、「なんとなく」
                  あることを思いついた。

                  そんなことは、やってみ
                  たことはなかったけれど、
                  「なんとなく」
                  やってみたいと想った。

                  なので、それをそのまま
                  やってみた。(*^_^*)


                  結果、参加者さんの反応は、

                  「こっちのほうが、
                  わかりやすい!」

                  ひぇえええ、である。


                  最近、こんな感じの傾向
                  が、ますます強くなっている。

                  それまでやってきて、
                  それなりにいい反応を
                  受けてきた、ワーク。

                  でも、その日は、なんか
                  「気分が乗らない」

                  気分…というと、
                  気まぐれのように感じる
                  かもしれないけれど、

                  それは、私のどこかが、
                  サインを発信している
                  のだ…と想う。

                  それって、
                  方法にすぎないよね。

                  本当にやりたいことは、
                  そのワークそのものでは
                  なく、そのワークを
                  やることによって、
                  得られる何かだよね。

                  だったら、そのやりかた
                  に固執する必要はないん
                  じゃない?(笑)

                  そんな感じ。


                  そう感じたら、そのまま
                  その気持ちにしたがう。

                  方法はうしなったけれ
                  ど、何をやりたいかとい
                  う、目的までみうしなっ
                  たわけではない。

                  これまで積み重ねてきた、
                  蓄積は、まちがいなく、
                  自分のなかにある。

                  そのなかに、
                  きっと、こたえがある。

                  こたえがあると知ってい
                  る、自分を信頼する。

                  それだけ。


                  結果が、うまくいかなか
                  ったら?…と心配するひ
                  ともいるかもしれない。

                  でも、「うまくいく」
                  「いかない」は、ひとつ
                  の見かたにすぎない。

                  そのプロセスがあるから
                  こそ、次のステップが
                  踏めるかもしれない。

                  その気づきを、共有する
                  ことで、よりいい方法が
                  見つかるかもしれない。

                  だから、どうころんでも
                  OKなのだ。

                  そして、実は、ころんだ
                  のではなく、ジャンプだ
                  ったのかもしれないのだ。


                  あらためて想う。

                  いつでも、原点に還ろう。

                  何のために、
                  それをするのか?

                  本当の目的は何なのか?

                  方法にこだわりすぎて
                  いないか、
                  振り回されていないか。

                  何度でも、何度でも、
                  そこに立ち還ろう。


                  そして、また歩きだそう。

                  生きるということは、
                  永遠の学びだ。

                  それを、楽しみつづけ
                  よう!(*^_^*)
                   

                  かめやまゆみこさんのメルマガから

                  0
                    他人と比べるのではなく過去の自分と比べる。
                    これもなかなか難しいものですが、
                    今回のかめやまさんの「今日のフォーカスチェンジ」では、
                    さらに飛躍して「宇宙比」!とな!

                    う〜ん、確かに。
                    そう考えると気が楽になりますね。

                    気に入ったのでちょっくらご紹介します!



                    ★今日のフォーカスチェンジ♪
                    ----------------------------
                    宇宙比で生きてみる?


                    ただ在るだけ。

                    ただ在るだけで幸福
                    …って、気がつくのに、

                    どれだけの時間が
                    かかったことだろう。


                    この流れは、
                    「宇宙比」を採用して
                    から、加速している。

                    そう。何か考えるとき
                    の根拠を、宇宙に
                    おいちゃった。(笑)


                    ちなみに、
                    「宇宙比」の前には、
                    「当社比」を使ってた。

                    当社比も、もちろん
                    悪くはない。

                    昨日の自分より、
                    ステップアップできた
                    自分にマル!

                    うん。とても大切。


                    でもね。

                    当社比は、どこまでいっ
                    ても、当社比なんだ。

                    当社の枠を
                    出られないんだ。

                    つまり、
                    限度があるってこと。


                    あるとき、不意に、
                    「宇宙比」という
                    ことばが、おりてきた。

                    その瞬間、思ったのは、

                    「なんてこった!」って
                    いうこと!(爆)


                    まわり道だの、
                    七転八倒だの、
                    エラソーに
                    書いてきたけれど、

                    実は、この
                    広大な宇宙のなかに、
                    ごくわずかしかない、

                    「生存可能な星」に
                    生まれただけで、

                    すでにカンペキに
                    ラッキーだったんだ!
                    ってこと。


                    そしたら、ほかの、
                    ごちゃごちゃしたことは、
                    ぜーんぶ、どーでもいい
                    ことになっちゃうのだ。

                    いや、こだわりたい
                    ことは、こだわって
                    いいのだけれど、

                    ちっちぇーことに、
                    ひっぱられなくていい!
                    ってことなんだ。


                    この宇宙に、出現した
                    だけで、ラッキー。

                    地球に生まれただけで、
                    ラッキー。

                    いま現在、存在している
                    だけで、ラッキー。

                    そう、
                    在るだけでラッキー。

                    あとは、そのラッキー
                    な星のもとで、どう
                    生きるかだけなんだよ。


                    …なーんて、ノーテンキ
                    に書いてるけど、

                    そう思えないひとも、
                    いっぱいいると思う。

                    それも、OK!

                    だって、それが、
                    あなたが選んできた
                    シナリオなんだもの♪

                    自覚、ないかも
                    しれないけど。(爆)


                    私も、長いこと、
                    自覚はなかったよ。

                    いまも、別に、確証が
                    あるわけじゃない。

                    むしろ、そーゆーこと
                    にした、選択した…
                    っていうほうが、正解。

                    そのくらい、自分で
                    決めていいと思うんだ。

                    なんたって、生存可能な
                    星に生まれちゃうくらい、
                    ラッキーなんだから!


                    ラッキーが前提で、
                    まわり道を、
                    楽しんできたんだよ。

                    ラッキーが前提で、
                    七転八倒してたんだよ。

                    ラッキーが前提で、
                    オチコミの大王を
                    やってたんだよ。(爆)

                    そう思ったら、
                    笑えてこない?

                    ぶふふ。

                    私って、なんて、
                    おちゃめなやつ!

                    なあんてね。


                    これを読んで
                    いただいている今日は、

                    私が、地球の人類の
                    ひとりとして、
                    デビューした日♪(笑)

                    あれから、ちいっと
                    ばかし、地球時間は
                    すぎたけど、

                    ようやく、それを
                    思い出したんだよ。

                    私は、このラッキーな
                    体験を楽しみに、

                    わざわざ、この
                    タイミングを選んで、
                    おりてきたんだって♪


                    だから、これからも、
                    まわり道を楽しむよ。

                    七転八倒も
                    試行錯誤も、
                    紆余曲折も楽しむよ。

                    オチコミの大王は、
                    もう飽きたから
                    やらないけど。(爆)


                    さあ。
                    あなたはどうする?

                    宇宙比で生きてみる?

                    それとも、当社比で
                    ねばってみる?(笑)

                    どっちでもいいんだよ。

                    どっちであっても、
                    あなたが選択してる。

                    あなたの選択は、
                    ぜんぶ、マル!

                    ラッキーすぎる仲間と
                    して、この地球時間を
                    謳歌しようよ!(*^_^*)

                     

                    かめおかゆみこさんのメルマガより

                    0
                      スモールステップが大事。
                      かめおかさんのメルマガに興味深いフレーズがあったので紹介します。

                      各地の地域づくりをみてると、
                      どこも起死回生の一打を求め、次々と新規事業を立ち上げています。
                      東京から有名人を呼んだり、大イベントを行ったり…

                      もうかれこれ30年、中身は違えども同じようなことをやってます。
                      もうそろそろ目線を変えてもいい頃かもしれません。

                      大きなことやろうとして失敗してきたのであれば、
                      小さな一歩を大事にする、できることを大事にする。

                      かめおかさんの言葉は、
                      人の生き方にとっても、地域の生き方にも参考になるかも…。

                      と思ったので引用します。



                      ★今日のフォーカスチェンジ♪
                      ----------------------------
                      一歩一歩の自分に


                      「『聴く』を磨く」
                      WEB講座では、毎月、

                      スカイプを使っての
                      グループ・セッションを
                      おこなっています。

                      なんと、スカイプには、
                      同時に、複数のひとが
                      話のできる機能があるの
                      ですね♪(便利!)

                      で、参加者のおひとり
                      と、先日話をしていて、
                      こんな気づきを
                      伝えていただきました。


                      そのかたは、ふだん、
                      会議などでは、あまり
                      積極的に発言をされる
                      ことがありません。

                      ほかのかたの意見を
                      きちんと聴こうとする
                      と、結局、聴くことに
                      注力してしまい、

                      話すタイミングを逸して
                      しまうのだそうです。

                      ところが、WEB講座に
                      ご参加いただき、グルー
                      プ・セッションにも参加
                      していただいたときは、

                      しっかりと、会話に参加
                      できたというのです。


                      何がちがうのかなあと
                      確認してみました。

                      通常の会議では、当然
                      ながら、参加者の顔が
                      見えています。

                      だから、ただ聴いている
                      だけでも、会議に参加
                      した気持ちになれます。

                      ところが、グループ・
                      セッションでは、
                      声だけのコミュニケー
                      ションになります。

                      何もしゃべらなければ、
                      いないのと同じことに
                      なってしまいます。

                      そこで、そのかたは、
                      できるだけ、あいづち
                      を打つなどして、

                      話を聴いていることを、
                      相手に伝えようと意識
                      されたのだそうです。


                      これって、
                      うれしいことですよね。

                      相手が安心して話せるよ
                      うにとの配慮なんです。

                      けっして、技法として
                      あいづちを打とうとした
                      のではなく、

                      相手が見えない状況での
                      こころ配りなんです。


                      で、ね。

                      そしたら、
                      副産物(笑)があって、

                      意識的に声を出すこと
                      で、自分自身も、その
                      セッションに参加してい
                      る意識が高まるんです。

                      結果、あいづちだけで
                      なく、自分の意見も、
                      するっと言えてしまった
                      というのです。


                      ここから、いくつかの
                      コミュニケーションの
                      ためのヒントを、見いだ
                      すことができます。

                      ひとつには、
                      あいづちを打つ、と
                      いうことは、話を
                      聴こうという姿勢です。

                      このとき、意識は、相手
                      のがわに向いています。

                      もしもここで、なんとか
                      話をしようと考えていた
                      ら、意識は自分のほうに
                      向かいます。

                      すると、ひとの話を
                      聴けなくなっていたかも
                      しれません。


                      まず、聴く。
                      本気で、聴く。

                      コミュニケーションの
                      基本は「聴く」ことだ
                      と、私は思っています。

                      今回のケースは、
                      それを実践した結果、

                      自分自身の発信にまで
                      結びついたケースだと
                      思っています。


                      もうひとつ大切なこと
                      は、何もかもカンペキに
                      やろうとするのではなく、

                      まず、自分にできる
                      ちいさなことに
                      フォーカスしたこと。

                      つまり、いきなり会話に
                      参入するのではなく、
                      あいづちだけを打とうと
                      したことです。

                      これ、スモール・
                      ステップと言います。


                      ひとが前進するために
                      は、いくつものステップ
                      を必要とします。

                      ところが、たいていの
                      ひとは、目標をおおきく
                      設定しすぎちゃいます。

                      もしくは、最初から
                      完全な状態を期待
                      しすぎてしまいます。

                      結果、自分で自分を
                      しばってしまい、
                      身動きできなくなって
                      しまうのですね。

                      このかたは、とにかく、
                      あいづちを打つ、
                      と決めたしたことで、
                      気持ちが軽くなり、

                      みずから発言しやすい
                      状況をつくったのだと
                      思います。


                      スモール・ステップ。

                      久しぶりに、私も
                      思い出しました。(笑)

                      それって、どんな自分
                      にもOKをあげていく
                      プロセスなんですね。

                      「正しい完全な自分」
                      でないとだめ、とばかり
                      に、いまの自分を
                      否定するのではなく、

                      ありたい自分、なりたい
                      自分に向かって、
                      一歩一歩進んでいく、

                      その一歩一歩の自分に、
                      すべてマルをあげる。

                      それが、生きていく
                      ということなのだと。


                      …。

                      「聴く」ということ
                      から、話は広がって
                      しまいましたが、

                      「『聴く』を磨く」の
                      キャッチコピーは、

                      「聴きかたは生きかた」

                      やっぱり、つながって
                      いるんだと思います♪


                      あなたの
                      スモール・ステップを、
                      大切にしてくださいね。

                      あなたの生きかたを、
                      大切にしてくださいね。

                      応援しています♪

                       


                      PR

                      calendar

                      S M T W T F S
                      1234567
                      891011121314
                      15161718192021
                      22232425262728
                      293031    
                      << October 2017 >>

                      訪問者数

                      無料カウンター

                      うみしお工房&塩づくり風景

                      国産塩3種の製法と成分の違いについてお話します!



                      お客様の声 新上五島町青方郷 竹山茂雄様



                       

                      ご注文方法



                        photo by wakamatsu
                      '16年3月1日に料金を改定しました。
                      五島のうみしお450g 1,200円
                      同      200g  600円
                      同      1繊 2,300円
                      塩こしょう   80g   400円
                      ハーブ塩    70g   400円
                      ご注文は電話ファックス0959−55−2780あるいはEメール:shioyanome@yahoo.co.jpでお願いします。 送料は大阪以西が一律630円、以東が一律860円。数量に制限がありますが、スマートレター180円(うみしお450g×1個 or うみしお200g×2個)、レターパックライト360円(うみしお450g×2個 or うみしお200g×4個)でのご注文も承ります。お支払いはお届け時に同封の郵便振込み用紙にてお願いします。

                      selected entries

                      categories

                      archives

                      recent comment

                      • 「重開き」兼お花見へ。
                        umisio
                      • 「重開き」兼お花見へ。
                        日の丸屋
                      • 快晴です。
                        umisio
                      • 快晴です。
                        ヨシ
                      • 日の丸屋〜奈摩・青砂地区を散策
                        川 謙
                      • 北中職場体験学習最終日
                        umisio
                      • 北中職場体験学習最終日
                        kenny
                      • 岩瀬浦の須崎地区に行ってきました。
                        umisio
                      • 岩瀬浦の須崎地区に行ってきました。
                        佐賀の江村
                      • ツアーの正真正銘の終わり
                        umisio

                      recent trackback

                      recommend

                      links

                      profile

                      search this site.

                      others

                      mobile

                      qrcode

                      powered

                      無料ブログ作成サービス JUGEM